チューリップ
春風に揺れてる、チューリップ。
仙台市内の桜はだいぶ緑色が
多くなってきましたが、
入れ替わるようにあちこちで
チューリップが咲いてきました。
春風に揺れてる、チューリップ。
仙台市内の桜はだいぶ緑色が
多くなってきましたが、
入れ替わるようにあちこちで
チューリップが咲いてきました。
お土産にいただいた
金沢・中田屋さんの"さくらきんつば"。
うつくしさとおいしさにうっとり...
お家でも、さくらのお菓子づくしで
もてなしてくださり、心あたためられました。
また、犀川の桜が見える
お家におじゃましたいです。
かつての住処を背に記念撮影された
ほたるいかフライ。
金沢から富山に移動してもうひとり
どうしても会いたかったひと!
彼女は元イベンター・マネージャーというキャリアを
これまでも数々の旅のプロデュースにふんだんに発揮してくれました。
今回は短い時間だし話ができれば、とだけ思っていたものの、
半日旅の完璧なプランがnoteで送られてきたのでした。
中でも、心を鷲掴みにされたスポットがこちら!
富山県滑川市にある
「ほたるいかミュージアム」です。
ほたるいか単体で、ミュージアムってすごいですよね。
ここは、体験型のミュージアムで
ほたるいかが発光するところを見ることができる
発光ショーがあったり、VRでホタルイカ気分まで
味わえるというすごいスポットなのです。
春になると産卵のために富山湾沿岸に集まって
青く美しい光を放つほたるいか。今がまさにシーズン!
そしてここ数日、地元の方々が言うところの
「爆湧き」状態なのだそうです。
ちなみに、展示されている活きたほたるいかは
ミュージアムのスタッフの方が毎朝
採ってくるのだとか。"きときと"だー!
見て、学んで、命をいただいて、知る。
ほたるいかにむちゅう。
【チンアナゴもいたよ】
おでかけ日和の日曜日、
「春ららら市」にくりだしました。
"石川県のこつぶでピリリな作家&個人商店
のべ178店が、能登・金沢・加賀・白山から
本多の森公園としいのき緑地に集結! "
2006年に出版された「乙女の金沢」。
今もお気に入りの一冊で、
金沢に行くひとには必ずおすすめする本ですが、
この本がきっかけとなったイベントが2011年からずっと
続いているそう。主宰の岩本さんが、
立ち上げ当時仙台にまでDMをおくって下さったことがありましたが、
まさかこの週末とは知りませんでした。
やっぱり、この街と縁がつながっているなぁと
思っていたところに、まさかの嬉しい再会が次々と。
広い会場でこんなことあります?
もう、金沢が大好き!
めちゃくちゃかわいいサコッシュを付けて
迎えにきてくれたよっちプロデュースの日曜日に感謝!
時間がいくらあっても足りないスポットでしたが、
中嶋寿子さんの小さな陶のブローチを購入して
うきうきです。ブラウスにつけよう。大事にします!
国立工芸館は次回のお楽しみに。
【We love NOTO】
金沢では、滞在中にもどんどん桜が咲いてきて、
青空と桜色のコントラストがこの街の美しさを
よりいっそう、際立たせていました。
風光明媚な能登があれだけの傷を負ったいま、
古都・金沢が変わらず美しいのはほっとする景色でもあります。
怖い思いや辛い思いをしなかったひとは
一人もいないはずで、それぞれの立場で
能登に思いを寄せている友人たちの言葉を聞きました。
その中に混じって
「ここまで津波きますか?」と元日の地震の直後
金沢市内中心部に越してきたばかりの隣人に尋ねられたという
友人の話があったり、
地元が穴水町(あなみず・まち)というバーのマスターが
「東日本大震災の津波の記憶があったからみんないち早く逃げた」
という話も聞きました。
13年の時を経て、教訓を生かしてくれた方々が確かに
いたことを実感するものでした。
伝えていかなくてはならないですね。命を守るために。
朝、散歩がてら尾山神社に向かってみると
百万石通を100メートル歩いただけでも
いろいろな言語が聞こえてきます。
そういえば、ホテルの朝食会場では私ともう一組以外
すべて外国人のお客さんでした。
とびきりおしゃれなカフェやホテルが増えた
メインストリート。でも一本入ると
昔からあるおいしいコーヒー屋さんや
作家さんのアイテムが並ぶギャラリー・雑貨屋さんが
点在しているのも金沢の街歩きが楽しいところ。
本当にいい街に住んでいたんだな、と愛してやまない金沢を
歩きながら思います。
尾山神社から金沢城公園につながる
鼠多門橋がかかり、その先の
鼠多門から入ることができるようになっていました。
駆け足でしたが、夜桜ライトアップまでみることができて
写真フォルダは春色の金沢でいっぱいです。
羽咋市にも私の大切な先輩のご家族がいます。
お家の中にも外にも地震の爪痕がありましたが
元気でいてくださいました。
能登はやさしや土までも。
連れていってくださった方が
"能登はたくましや"だよ、とも教えてくれました。
東日本大震災の後も、その後の地震でも
繰り返し繰り返し、心配して物心両面で支援してくださった
お父さんお母さんとお姉さん。
私がまだ金沢にいた2007年の能登半島地震の時には
会社よりも、実家よりも先に先輩のお姉さんから
電話がかかってきました。
先輩が眠るお墓はなんとか無事で、
今日も綺麗なお花が供えられていました。
先輩とは共通の大好きな音楽や話題がたくさんあること、
そして時が経ってもなお
仙台で会うアーティストやスタッフの方々が
先輩と私をセットで覚えてくれていることもあって、
ずっと近くに感じています。
先輩のご家族を守ってください。
ふるさとの方々がこれ以上つらい思いをしないように
守ってください、とお願いしました。
会いたいひとたちに、会いにいこう。
かがやきにのって、いざ。
まずはちょっとだけ、エフエム石川のスタジオに
おじゃましました。彦三から香林坊に移転してはじめて
おじゃまするスタジオ。
パーソナリティーの木村さんが待っていてくださって
あたたかく迎えてくださいました。
年を重ねて、ひとに教えることって、
難しいなと感じることばかり。
木村さんにご指導いただいた20代、
時を経て感謝は深く、大きくなる一方です。
松島でのイベント楽屋にて。
銘菓・松島こうれん。
新たな道を選んだひとにお手紙をいただいたり、
がんばって!の乾杯をしたり。
復帰した方と再会もあった、年度末。
来週になれば、はじめましての名刺交換もあるでしょう。
コロナ禍以降で、使い終わった
マイクを拭くことがすっかり習慣になりましたが、
今日は一年分の感謝気持ちで拭きました。
来年度も、
どうぞよろしくお願いしますの気持ちをこめて。
【癒し】
イースター前だけ、のひよこパン
"期間限定"にたぶん、一生弱い。