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2011年4月 アーカイブ

2011年4月 3日

MORE THAN EVER

新年度がスタートしました。

4月1日の新聞は、いつもラジオテレビ欄含め
わくわくした気持で読みますが、
今年の4月1日、毎日新聞の一面には
『温かい食事 まだ三割』という文字が。

東日本大震災の発生からちょうど3週間を迎えた
4月1日(金)時点で、
およそ17万人の方が避難生活を送っています。
うち、およそ8000人の方を対象に毎日新聞が行った
避難生活におけるアンケートで明らかになったのが
『温かい食事 まだ三割』という実態です。

3週間たっても支援が十分には行き届いていない実状が
浮かんでいます。

先週番組で電話をつないだ避難所のひとつ、
多賀城市文化センターでも、
「食事の量は足りてきたが、質ということで言うと、なかなか
上げることができない」と副館長さんがおっしゃっていました。

避難している方の倍にのぼる1000名を超える方々が
食事時間には集まっておられるそうです。
それだけ、買い物をしたりといったことがままならない状況です。

仙台ではお店が開いて、
列もほとんどなく入れるお店も増えてきました。

しかし、ほんの数キロ先で起こっていることがわたしたちの
気持を苦しめています。

先週のことになりますが、
国道45号線から、産業道路、ゆりあげの方までラジオカーを
走らせました。

多賀城市ではガソリンスタンドの洗車機が浮きあがり斜めになっていたり
産業道路はすごい砂埃で先週の時点では信号もついておらず、
仙台港の商業施設付近では
津波のすごさと波の方向が分かる形でフェンスがなぎ倒されていました。
おびただしい数の車が積み重ねられ、一方でまだ撤去されていない
車もそこらじゅうにあり、車のボンネットの上に建物の壁がざっくりきりとられた
まま乗っていたり、筆舌に尽くし難い景色。

畑もめちゃくちゃ、がれきのトンネルのようになった場所があったり、
通常海まで見通せない場所から海が見えて
かすかな波の音と、鳥の鳴き声意外聞こえなくて、
その異様な静寂に全身ふるえてしまいました。
若林区は57%が津波によって浸水したという記事が出ていましたが、
その景色を、テレビのフレームではなく360度の景色で体感してしまいました。

これから、津波被害のあった場所と津波被害を免れた場所で
復興までの時間の開きが生まれるでしょう。それは、想像するより
はるかに大きいかもしれません。

先週のオンエアの中で、いただいたメールでいろいろ気づいたことが
あります。

まずは、『この状況がどんどん忘れ去られているのではないか』という
恐怖を感じている人が多いこと。これだけ支援の輪が広がっていることが
伝えられるなかでも、そう感じてしまうほどの現実が目の前には
広がっています。わたしも地元のラジオで、そして機会をつくって
県外のラジオでも現状を伝えていきたいと思います。
そして県内の私たちが、数キロ先で起こっていることにもっと
心をむけていきたいと思います。

一方で、命がけの支援に対して
『何か、自分たちの感謝を伝えたい』と思っている方が多いことも事実です。
リスナーさんからはいろいろなアイディアをいただいています。
何かアクションを起こすことができないか、スタッフ共々
真剣に考えているところです。

さらには『前向きに頑張ろう』ということを言い続けてほしい、という
リスナーさんからのメッセージがありました。
ラジオネームを見て嬉しくなったのは束の間、
その方はお母さんをなくされ、大変苦しい思いをされている中で、
いつものラジオネームでメールを送ってきてくださいました。
『時間だけが今の気持を癒すものかもしれないけれど、
私が前向きになれるまでパーソナリティーのふたりには
言い続けてほしい』と。

約束します。必ず、いい続けます。


これまでJ-SIDE STATIONは
「必要なお節介」についてみなさんといろいろ話してきました。

声をかける。
まずは相手のことを思って声をかけてみる。
断られても、行動がまず大切。
必要なお節介はいろいろあるはずです、今だからこそ。


今週末、SISTER JETが
勾当台公園野外音楽堂でライブをしてくれました。

彼らの言葉を借りるなら「いてもたってもいられない」
これこそが、必要なお節介だと思います。

普段はライブ大好き人間の私でさえ、
考え事であたまがいっぱいになっていて行こうかためらう部分があったけれど
思いにふれて、とても体があたたまりました。

そしていつもライブ会場で顔をあわせるみなさんが
ちゃんとそこにいてくれることが奇跡だと思ったら涙が止まらなくなりました。

この大震災を乗り越えたら私はきっと好きなものが増えていると思います。
いままで好きだったものはもっと好きになっていると思います。

かつてないくらい、仲間を友達を好きになっていると思います。
かつてないくらい、ラジオを好きになっていると思います。
かつてないくらい、音楽を好きになっていると思います。
かつてないくらい、東北を、大好きになっていると思います。


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また、新しい一週間がはじまります。
声をかけあって、がんばっていきましょうね。
体に、気をつけて!


2011年4月10日

一歩ずつ

木曜日の余震は建物だけでなく、
復興へ歩みだした気持ちにも大きな打撃でした。

そのとき私は手紙とともに贈り物をしてくれた
友達にお礼の電話をしていて、
ほぼ悲鳴とともに電話を切った格好になりました。

部屋の中はふたたび物が散乱し、
夜中に友人が避難、
仙台駅に取り残された知人をピックアップして
送り届けようとするとガソリンスタンドには
またもや長蛇の列ができていた深夜2時。
停電、断水、交通機関のストップといったニュースが駆け抜けていました。

少しずつ復興への一歩を歩みはじめた街が
震災直後の姿に戻ったようで愕然として、
金曜日は一日何もする気が起きなかったのが正直なところです。

土曜日に多賀城、塩釜方面へでかけ、
1ヶ月間何も手助けすることができなかった祖母の家を
やっと訪ねることができました。
その背中はますます小さくなったように見え、
それでも日々の感謝を口にする姿に
働き盛り世代がこんなことで負けそうになってどうする、と
ふたたび気合を入れ直しました。

繰り返される余震は復興の厄介者ですが、
決してすべてが逆戻りしてしまったわけではありませんよね。
本震よりも揺れが激しかったといわれる場所もあります。
せっかく片付けたオフィスがぐちゃぐちゃになったと嘆く声も聞きました。
譲りうけた家電が壊れた方も。
それでも、3月11日以降、揺れても落ちない工夫をしていたからこそ
無事に済んだ場所もあったに違いありません。
そして、片付けたくても家ごと流されてしまった方の心を思えば、です。
余震に十分気をつけて復興への歩みをとめずに、一歩一歩
進んでいきたいですね。

最近、ますます街なかで見かけるようになった
「がんばろう」の言葉。

『がんばろう仙台』
『がんばっぺ宮城』
『たちあがれ東北』
『負けるな多賀城』
『ガンバロー塩竃』
『わたしたちは負けない』
『笑顔はパワーだ』
『力をあわせ頑張りましょう』
『がんばっぺし東北』

見かけると
声に出して読んでいる自分がいます。
きっと言霊は、ある。そう信じています。

今日はZepp仙台で、沖縄で行われた支援チャリティーライブ
”What a Wonderful World"の配信ライブを見てきました。

Zeppに音楽が戻ってきたんです。
音楽が、あるべきところで鳴っている。
Zepp仙台に入ったその瞬間からエネルギーをもらいました。

東北から最も離れた沖縄の地から届けられた音楽とメッセージ。
これだけ短期間で、これだけの規模のチャリティーライブが
開かれたことに正直驚きました。

沖縄の言葉で歌われる祈り。
拍手でつながる沖縄と宮城。
沖縄はすでにみんな半袖姿でMCの人が促す注意は
『熱中症に気をつけてください』
はじめて聞く曲も多いなか、なぜかなつかしい気持になったり。
2時46分には黙祷。
スクリーンのハンドフルートにつられるお客さんたち。

サンボマスターの山口さんの絶叫。
EPOさんの声からこぼれてくるような祈り。
飛び入りでトークを届ける中村正人さん。

BEGINの栄昇さんが『少しずつお祝いすることを増やしていけるように』
とエールを送りながらのライブ。さらには
『お祝いというのは前祝もできるんです!復興をしたときの前祝に!』
といって進んでいくライブは元気の出るセットリストで。

そしてかりゆし58の前川真悟さんが言っていた言葉がとても
心に残っています。

『たくさんもらうと、ありがとうすいません、って俺も言っちゃうんだけど、
今日のライブでたくさんのものが東北に届くかもしれないけど、
それで東北のひとたちが”すいません”って気持になったら
すんごく寂しいとおもってよ、俺は。
東北のひとたちのおかげで沖縄は素敵な一日をすごせたよ、
ありがとうっていいたいよ』

飾らない、真心が伝わることば。

今回の大震災でわたしたちが背負ったものは重いですが、
同じ時代を生きている仲間がいるんだということに
気づかされました。

今日のライブには56組のミュージシャンが参加されたと聞きました。

番組にも応援ソングが届いたり、県内でフリーライブの動きも
あります。配信などの方法で義援金を募ったり、メッセージを
届けてくれているミュージシャンもいます。
迷いながら、時期が早いのではないかと葛藤したりしながら。
みなさん言うのは「これしかできない」「できることはこれだけ」。
けれども、
ミュージシャンにとっての曲は命です。

そんな命を届けてくれることに、感謝と尊敬を。

実際多くの方たちも、わたしも、音楽に励まされているし、
そしてこれから長い期間にわたって、
被災地以外の人にメッセージを伝える役割をも果たしてくださるはずです。
直接宮城ではなくてもツアー先で、日本を元気にするために
がんばってくれているひとたちのこともたくさんたくさん聞いています。
本当にありがとうございます。

そしてそんなミュージシャンに絶対恩返しをしたい!と
思う自分もいるし、
些細でもできることで街に恩返しをしたいと日々思いつづけています。

そして県外からの愛のこもった支援にも、いつか絶対恩返しをしたいです。

まずは、宮城のおいしいものを食べてもらいたいです。
お米、笹かま、ずんだ餅。
日本酒、海産物・・・・・近い将来、お届けしますよ!

そして、何かできることはないか、と言ってくださるみなさん、
ぜひ宮城が元気になってきたら、宮城の温泉や
おいしいものを楽しみに来て下さい。

PCなどでオンエアが聞けるようになっていて
”東北の温度が知りたい”と県外で聞いてくださっている方も多いようです。

ラジオで伝わるメッセージはすべてリアルなものです。
リスナーさんの思い。リスナーさんの声です。
どうぞ引き続き耳を傾けてください。
関心をもってくださるみなさんが持ってらっしゃる手段、
お友達に伝えるでもいいし、blogや会社の朝礼や、なんでもいいです。
あなたの思いを発信することで、どうか、東北を応援してください。

ぽきぽきと心が折られるような余震が続くなかで、
長い避難所生活を強いられている方や自宅避難している方は
我慢することばかりだと思います。でも、必要なものやこまっている
ことを周りに伝えることがとても大切だと思います。
それはわがままなどとは全く違いますし、きっとその被災者の声は
地震大国である日本にとっても経験値として受け継がれるべき
大切な声になるはずです。だから、あなたのためだけではないのです、
みんなのために、思いを伝えてください、とひかえめな東北の人には
あえて言いたいと思っています。
我慢しすぎないで、どうかご自分をたいせつにしてください、と声を大にしていいたいです。

先週のオンエアに寄せていただいたメッセージに
心温まりました。
山元町の国道6号で、お母さんとお子さんが大きな紙にメッセージを
掲げていたそうです。
『自衛隊のみなさん、お疲れ様です。ありがとう』

今週も声をかけあって、がんばっていきましょうね。
仙台の桜の開花予想日は13日です。
桜が春風と一緒に希望を運んできてくれるのも、もうすぐです。

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2011年4月12日

祈りの桜

仙台できょう、桜が開花しました。

午後1時17分に仙台管区気象台が発表した開花を
番組の中でお伝えしました。
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毎年、桜の開花のニュースを一番に伝えたくて
時期になると生放送のある日は
開花を知らせるFAXが来ないかそわそわしています。
桜の開花のニュースを読めたらその春はラッキーパーソナリティー!なんて
のんきなことを言いながら周りを巻き込み、ぜひとも開花のニュースを読みたいと
念力を送っているわたしです。
例年なら、水曜日ごとに発表される開花予想を頭の中でも更新しながら
心待ちにしているのですが、今年はそんな余裕さえありませんでした。

今日、スタジオに届けられたFAXには
『例年以上に力強く咲きました』というコメントが添えられていました。

今日ほど、心をこめて開花のニュースをお伝えしたことはありません。

北上してくる桜前線。ことしは各地の人が
『早く東北に桜が咲きますように』と祈ってくれました。
そんなメールをわたしもたくさんいただきましたし、
県外で聞いてくださる方が番組にもメッセージを寄せてくださいました。

そして開花が発表されたいま、ひとを想い、
『どうかあのひとが
桜を見上げて少しでも心癒されますように』と祈っている自分がいます。

やさしいピンク色はことしもみんなのもの。

そして祈りに色があるとしたら桜のように淡くて、敷き詰めても敷き詰めても
やわらかな色なのではないかと思います。

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今年はこの桜色が寄り添ってくれているように思えてなりません。

昨日の生放送中に東日本大震災から1ヶ月の2時46分を迎えました。
失われたたくさんの尊い命が安らかでありますように。
苦しい思いをしているたくさんの方々に
一日も早く、心穏やかなほほえみの日が訪れますように。

今日、東北本線と新幹線で東京までの鉄道がつながりました。
あしたから仙台空港で民間機の一部就航が再開されます。

街の復興とともに、それぞれのペースで、一歩ずつです。

2011年4月17日

恩送り

番組にはいつも以上に表情がみえるメッセージをたくさん
いただいています。
そこにあるのはそれぞれの思いと、家族のストーリー。

メッセージを大切に紹介しながら、エンディングを迎えるたび、
明日にはご家族にとって「できること」「可能なこと」がひとつでも
増えていますように、と祈るような気持になります。

昨日、ある家族を訪ねて南相馬市へ行って来ました。
原発からは35キロほどのところに位置するお宅です。
最近まで避難していて、先週自宅に帰ったと聞き
会いにいってきました。

国道6号は山元町に入ると道路の亀裂や段差がとくに
多くなるように感じました。
1ヶ月以上たってもいまだ水のひかない場所もあり、
大津波の海水が低い土地低い土地へと流れ込んだあとが
はっきりと分かります。
福島に入り、開いているコンビニで福島の地元紙を買って開いてみると、
「環境放射線モニタリング調査」の細かな数字が大きく紙面を割いていて
進行中の、目には見えない放射線との戦いが報じられていました。

お宅に着くと、おじいちゃんおばあちゃんが
笑顔で迎えてくれ、お隣に住む娘さんやお孫さんも
集まってくれました。
外で遊べなくて元気をもてあましている4歳の男の子にとって
客人のわたしは格好の”お友達”。
そこらへんにある置物を怪獣にして挑んでくる無邪気な姿は
かわいらしく、なごませてくれました。

しかし、みなさんが話す1ヶ月の避難生活は大変なもので、
ある時期一緒に避難生活を過ごしていたのご親戚は
1ヶ月に避難場所を7ヶ所も転々とされていたと聞きました。
別のご親戚は自宅に帰ったら窓ガラスが割られてテレビなどが
盗まれていたそうです。


ライフラインは復旧して水道は出るものの、
影響を考え、ミネラルウォーターなどを購入して炊飯から飲料水まで
まかなっているそうで、仙台から運んだ水がとても喜ばれました。

目の前で疲労の色濃いご家族の話しを聞きながら
みなさんの生活に「安全」「安心」はいつになったら戻るのだろうと
重々しい気持になりました。

私が訪ねたこのご家族は親戚ではありませんが、親戚以上のお付き合いを
させていただいています。
始まりは戦後にさかのぼります。

戦後の食糧難の時代に、
職場の研修で南相馬にいた私の祖父が、週末家族に持ち帰る
食糧を探して、行き当たりばったりで
訪ねたのが農業をされていたこのご家族のところだったのです。

大人数が身を寄せ合って暮らしていることを伝えると
同情してこころよく食べ物を譲ってくださったと、
わたしは子供のころから何度も何度もおじいちゃんに聞かされて
育ちました。誰もが大変な時代に、本当に相手のことを思って
行動することは簡単なことではありません。

私の祖父は私が中学生のときに亡くなりましたが、
ご家族とは、ずっとつながっています。でも私は
直接お会いするのは、15年ぶり、くらい。ご無沙汰していました。

宮城と同じく大地震や津波に加えて
原発事故という三重苦に苦しんでいる福島。
いわれのない差別・風評被害で、さらに苦しみを与えるなんて
絶対に避けなくてはなりません。

南相馬の一部をこの目でみて、被災地以外の方に伝えたいと思いました。
いま、必要なのは「想像力」ではないでしょうか。

等身大の想像力でいいと思うのです。
ふるさとが大好きな人は「もし、自分のふるさとだったら」
かわいいお子さんがいらっしゃる人は「もし、この土地で子育てをしていたら」

想像力で、いまつらい思いをされている方が多くいる場所に思いをとばしていきたい。
そして正しい情報を手にいれ、冷静に行動していくことも大事ですよね。


わたしはこの週末、
おじいちゃんが受けた恩を
60年以上の時間を経て子孫であるご家族に送ることができました、ほんの、少しだけですが。

今日まで私のもとに金沢や羽咋や神戸や東京から送っていただいた
支援物資で、わたしがとても助かったもの、嬉しかったものを思いだして届けました。

『恩返し』ではなく『恩送り』。


帰り際、南相馬のお宅のおじいちゃんが、
見覚えのあるグレーの帽子をもってきて見せてくれました。
それはわたしが子供のころ、私のおじいちゃんがかぶっていた
冬物の帽子でした。大事に使ってくださっていたことに感動しました。


今日、私の尊敬するパーソナリティーの
黒田弘子さんのチャリティー朗読会におじゃましてきました。
黒田さんほどの方が、と思うほどいつも謙虚でいらして
誰に対しても番組で聞くままの優しいことばをかけてくださる先輩です。

朗読会の中でもふたたび紹介してくださったのですが、
黒田さんはPassageの最終回の中で
井上ひさしさんの著書から「恩送り」のエピソードを紹介され、
リスナーのみなさんから大きな反響がありました。

あの日のPassageは、つたわってくる
黒田さんの思い、ディレクターの選曲含め
わたしにとっても忘れられない放送でした。

そしてその『恩送り』の気持はいまステッカーになって
J-SIDE STATIONを聞いてくださる方々の中で広がりをみせています。

J-SIDE STATIONに寄せられたあるリスナーさんからの
「自分たちのために一生懸命になってくれた人たちに
東北人として感謝の気持を表したい」というメッセージに共感して
仙台の登山グループ、「ハイクリアマウンテン+ユニティー」の
皆さんが、『Thank you & For You』ステッカーを作ってくださったのです。

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ステッカーには
『力強くも優しく握る手が架け橋、「恩送り」が派生して
大きく育って欲しいという願いを込めた「幸せの芽」』がデザインされています。

『恩返し』は恩を受けた相手に恩を返すことですが、
『恩送り』とは恩を受けた相手ではなく、別の人に送ることです。

ハイクリアマウンテン+ユニティーのみなさん、
そして素敵なアイディアをくださったリスナーのみなさんに感謝を。

番組でプレゼントすることにしたところ、
『手紙に同封したい』
『車に貼りたい』などたくさん応募をいただいています。

先週、J-SIDE のスタッフが気持をこめてつくったお手紙に
井上さんと共に一枚一枚メッセージを書き、これまでご応募いただいた方にお送りしました。
応募していただいた方には今後もお届けしていくことにしています。

J-SIDE STATION ホームページ

また新しい一週間が始まります。
沿岸部でも今週から学校がはじまるところもありますね。

今週も一歩ずつ、歩いていきましょうね。

2011年4月27日

気づき

月曜日に45日ぶりに仙台まで運転を再開した東北新幹線。
火曜日にはてくてく歩いている途中にその”雄姿”を、2回も見ました。
そのたび、『おぉぉ~新幹線!!』『走ってる!!』と
思わずひとり言がでました。
本当はまわりのひとに『走ってますよ、新幹線!!』と
声をかけまくって歩きたい気分。

初日には停電トラブルがあってお仕事などで
乗車されていた方は大変でしたが、
それでも待ちに待った大動脈の復活ですね。
先週気仙沼では6月までに魚の一部水揚げを目指すという
漁師さんたちの不屈の心意気が伝わるニュースが届きました。
夏の仙台七夕に続く秋の定禅寺ストリートジャズフェスティバルの開催決定。
週末再開したJリーグ、ベガルタ仙台の劇的な逆転勝利。

ひとつひとつの力強いニュースが気持を
ひっぱってくれますね。

そして同じくらい、わたしたちラジオの送り手を鼓舞してくれるのが
震災直後から大変ななかメッセージを送ってくださる
リスナーのみなさんの存在です。

メールのお名前を見て・・・

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スタッフが”待ってたよー!!”という言葉を書き添えていました。
ほんとに、嬉しくて、ありがたくて。

『また明日お会いしましょう』という約束も。
メールやFAXを送っていただくことも、その環境も。
水道、電気、ガスが通っていることも。
不自由なく物が買えることも。
好きな場所に寄り道することも。
週末車で出かけることも。
交通機関が時間通りに動くことも。

たくさんの選択肢がいつも目の前にあって
何でも選べる時代に生きてきました。

でも、今回の震災で
なにひとつ、”当たり前”はないことをわたしたちは
身にしみて感じています。

いつものようにラジオを聞いてくださること。
時々、メッセージで参加してくださること。
歩いてのどがかわいて水道ひねると水がでること。
手紙を書きたくて綺麗な便箋を選ぶこと。
仕事帰り、カフェでひとやすみして一杯のコーヒーを飲むこと。
待っている友達がいて、車でピックアップすること。
電車にのって、スタジオに行くこと。

たくさんのひとの力があって、自分があること。
いつもの生活があること。

当たり前なんてないということに気付くまでに
こんなにも犠牲を払わなければならなかったことが
やはり悔しくて仕方ありません。
でも、無駄にすることはさらに悔しいことです。

だから、周りへの感謝を忘れずに
一歩一歩進んでいきたいと思います。

一方でまだまだ”いつも”が程遠い生活をされている方も
多い県内です。
今朝の新聞には避難所におけるカロリー不足についての
記事がありました。

わたしたちの一歩一歩は
みんなが”いつも”を取り戻すまで続きます。


もうひとつ、思っていることを書きます。

火曜日にいただいたメールで、ご友人が
復旧作業中にはしごから足を滑らせて重傷を負ってしまった、
というメールがありました。
本当に心配です。

これまで気を張って家族を守ってきたかた
お仕事で責任ある立場であればあるほど無理をなさっているのでは
ないでしょうか。
その両方で、不安がるご家族を残してお仕事に駆けつけなければ
ならなかった方々、いまもそうである方も多いですよね。

メールをくださったリスナーさんの心配が痛いほど伝わってきました。

いろいろ背負いがちな気質の東北人。
大丈夫、が口ぐせの方も。

あなたを想っているひとを安心させるために、そのひとのために
『無理をしない』ことも思いやりです。

そして考えることがたくさんありますが、あまり抱え込まず
時間をつくって、きいてくれるひとに話してください。わたしも
今は県外に住んでいる友人先輩に頼って頼って
頼りまくって吐き出しています。


もしもラジオが少しでもその聞き役の役割ができるなら
番組がそれを少しでも果たせるのなら
ぜひメッセージを読ませてください。

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仙台市内中心部の桜は葉桜になってきました。
そして愛宕上杉通りは
新緑の瑞々しい緑がみえはじめています。

About 2011年4月

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