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2011年6月 アーカイブ

2011年6月 1日

6月です

衣替えだというのに肌寒い6月のスタートになりました。

そんな6月のスタートと同時に
石巻ではやっと小中学校でご飯給食がはじまりました。
たくさんの方の努力でまた一歩前に進みましたが、
早く元通りの給食が食べられるようになれば、と願います。

復旧・復興が進むなか、
阪神大震災と比べると1ヶ月分の遅れがあるとか
比較されたりもします。そして時間が進むほど、被害の甚大さを
かみしめることにもなっています。

けれども、リスナーさんのメッセージを読んでいて思うのは
ひとが一人通る道ができたときから、
車が一台通れる道ができたときから復興への道は始まっているんだと
いうことです。これからそのひとつひとつの積み重ねで道が長く、確かな
ものになっていくのだと思います。

わたしの家のまわりでは
公共工事の音に加えてご近所のお宅が依頼したであろう塀の工事などが
はじまっていて、かなり騒々しく感じます。
雨の中でも作業をされている方には感謝の思いしかありません。
それでもなれない音や環境には知らず知らずのうちにストレスもあります。
その音が未来の街につながる音だとしても。
自分を癒すこともたいせつだよね、優しくいられるために。
そんなことをよく友人たちと話します。

夜にやってぐんと気温がさがりましたね。
今日は4月下旬なみの最高気温だったそうですが、
週末になると一気に3ヶ月ほど季節が進んで
7月下旬並みの暑さになりそうです。
体調を崩さないようにお過ごしくださいね。

【6月のスタートと同時に】
J-SIDE STATIONは
震災後、本町のDate fm本社スタジオの2階からオンエアしていましたが、
スタジオが本町1階に移りました。
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愛宕上杉通りの緑が綺麗です。


2011年6月 2日

ARABAKI

3月の混乱のなか、ARABAKIが延期開催をアナウンスしてくれたとき
とても励まされました。

そして、ついについに日程が発表になりました。
たくさんの関係者の方々の努力と想いがあって
今年のARABAKIが夏に開催されます。

8月27日と28日にエコキャンプみちのくで。

それまでにひとつでもいいことが東北に増えているように
ひとつの目標にして進んでいきたいと思います。

■□■ARABAKI HP■□■

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部屋に4月の荒吐桜祭のときチャリティー販売していた
ARABAKIのポスターを飾っています。

なんだか力がわいてくるのです。

2011年6月 3日

エレファントカシマシ

急遽、USTREAMでも配信が行われた今夜の
エレファントカシマシ仙台公演。
今夜会場に足を運べなかったファンのひとたちにも届けと
メンバーの全員が全身で言っているような、ライブでした。

仙台市内の主なコンサートホールが震災の影響で
使えなくなっていて、
今夜のエレカシも東京エレクトロンホール宮城の
振り替え公演という形で行われました。

今回のツアーはライブハウス&ホールツアーで
仙台の場合は去年の12月にZepp仙台でのライブハウスバージョンが
ありました。本来なら椅子を擁するホールでの公演のはずでした。

去年の12月のライブのとき、
"元気をもらったぜ!お互い様だ!"と最後に言ってステージを去った
宮本さん。また、元気を届けにきてくれました。

"自信を全て失っても 誰かがお前を待ってる”
"いつの日か輝くだろう あふれる熱い涙"
"ただ光を集めて歩き続ける旅さ”
"悲しみの果ては すばらしい日々を送っていこうぜ”

会場のRensaに鳴り止まない拍手。
エレカシがエレカシであることを証明する力強いバンドアンサンブル。
セットリストが進むにつれただただ胸がいっぱいになりました。

震災後、棚のCDが崩れ、ケースから中身だけが考えられないような場所まで
飛んでいったりして、実はいまだにCDを整理する作業中のわたしです。

音楽好きの人間は音楽好きの誰かに思いをとばすことはできます。
津波でCDやレコードもすべて失った方がたくさんいることを思うと本当に胸が苦しくなります。
だって、探していたCDがたった一枚見つかったときの嬉しさを知っているから。

リスナーさんには番組を自分のCD棚として使ってほしいと本気で思っています。
そんな思いもあってリクエストの時間を大幅に広げています。
地道で、とってもささやかなことはわかっていますが、
音楽好きからの精一杯の応援です。

やっと、番組に関わる人や音楽業界のスタッフの方との挨拶代わりの
"最近、何聴いてる?"の交換ができるようになりました。

そんな会話の中からも音楽を教えてもらって
リスナーさんのCD棚にわたしのレコメンドも加えていただけるよう
素敵音楽をお届けしていきます。

あなたの支えになっているのはどんな曲ですか?
いま、前よりもっと大事だといえる曲はありますか?

わたしは今夜、
何度も立ち上がってきたバンドに、力をもらいました。

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2011年6月 4日

ALMA

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2011年6月 5日

とっておきの音楽祭

地下鉄の出口から街に出ると、
すぐに音楽が聞こえてきました。
楽器をもって歩く人・人・人。

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仙台市内中心部30ヶ所のステージに
3000人もの演奏者がパフォーマンスを見せてくれた
"とっておきの音楽祭”。
この状況のなか、去年より40団体多い286団体が
参加したなんて、本当にすごいことだと思います。

MCに入ると手話の方も入ってメッセージを伝えていました。
出演者の中には、これまでステージを共にしてきたメンバーを
亡くしたグループや、いろいろな事情で出られないメンバーが
いることを伝えるバンドも。

それぞれが誰かの分も思いを背負って、
それぞれの役割を感じながらステージに立っているのですね。

"Power of music, for you, for us."
スタッフTシャツにかかれていた言葉です。

音楽の力をますます信じます。

2011年6月 6日

ハマナス

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蒲生海岸近くの祖母の実家は今回の
津波により流されてしまいました。

でも、以前祖母が実家からもらってうちの庭に植えた
ハマナスがこれまでにないほど、たくさん花を咲かせています。

"忘れないでって、咲いてるんだっちゃ~”とつぶやいた祖母。

きっと、おばあちゃんのふるさとに美しい景色が戻る。
おばあちゃん、それまで長生きして。

2011年6月 7日

Flowers & Powerlight Tour2011

たくさんの人があつまる場所にいくと、
その人の数だけそれぞれ思いがあって
その人の数だけ家族のストーリーがあるのだろうと
思ってしまう自分がいます。いままで馳せることの
なかったことです。

そんないろいろな思いをもったたくさんの人を
一斉に、一瞬にして、喜びで満たすことができるのは
"スター"しかできないことだと思うのです。

ライブが終っても、その場からなかなか動けませんでした。
手が痛くなるまで拍手するしか、そのときの気持を
表すものがありませんでした。

"俺のできるプレミアムはすべてここに"
"みんなの友達が心配してくれてそのパワーを預かってきたんで
思いっきり盛り上がってください"
"神戸に行ったけど、本当に美しい街になっていた。
一日も早く元気な街に、もっと美しい街になるように"
一点をみつめて言っていた吉井さんの姿。

今回のツアーのファイナルを
なんと7月3日のRensaにするという発表を
今夜の締めくくりのサプライズに用意してくれていました。

あらためて、聞いてます。
吉井和哉"THE APPLES"
なんて、かっこいいアルバム!!
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2011年6月 8日

"がんばろう市”

勾当台公園ではさまざまな復興イベントが開催されていますが、
平日の今日も、登米市と南三陸町の物産市が
ひらかれていました。

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むすび丸も応援。

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南三陸町のお店からのほたてごはんと五目うにめしは
今日のお昼にみんなでいただきました。

2011年6月 9日

絆のはなし

最近になってようやく知ったことがあります。

それは、仕事でお世話になっている
音楽業界の方々が、実は県内で
ボランティア活動の汗を流してくれていたこと。

東京のデスクでDate fmの放送を聴きながら
仕事をしていました、と言ってくださる
東北エリア担当の方がたくさんいらっしゃって
なかには実際にボランティアとして県内に入って
くださっていたかたもたくさんいたのです。

そして、報道されていないところでも
たくさんのアーティストもボランティアとして
かけつけてくれていたことを、これまた
最近になっていろいろ聞きました。

ただただ感謝の思いです。
そしてみなさんが何かできることはないか、
これから音楽の出番だ、と本気で考えてくれていることを
ひしひしと感じています。

一緒にがんばってくれるひとがいることは
本当に勇気付けられます。

さて、がんばっているひと、といえば、
水曜日に番組で電話をつないだ
気仙沼の老舗のお菓子屋さん、コヤマ菓子店の小山さんもそのひとりです。

"人生をかけてコヤマ菓子店と気仙沼を絶対復興させる"
わたしはそう書かれた小山さんのblogを読んで
電話インタビューをお願いしました。

コヤマ菓子店・店主小山裕隆さんのブログ

"絆カステラ"からはじまるコヤマ菓子店のあたらしいストーリー。
心から応援しています!!

【シロツメクサの丘】

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錦町公園のシロツメクサ。
花言葉の"約束"どおり、今年も綺麗です。

2011年6月10日

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2011年6月12日

夕焼け

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少し暗い仙台の街なか。
やっと工事が始まったビルも多く平日は工事の音が響いていますが、
日曜日は人々のにぎわいの声でいっぱいです。
勾当台公園からはジャズプロムナードin仙台の音楽も。

夕方にはdarwinでシクラメンのライブ。
はじめてみるシクラメンの3人が織り成す
パワフルで笑顔いっぱいのステージでした。
アンコールで登場した応援メッセージいっぱいの
横断幕にはひときわ大きな歓声があがっていました。

黒猫チェルシーのライブにもかけつけましたが、
見るたびに顔つきがかわってます!!

ARABAKIも楽しみ。

2011年6月13日

Coupie

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今日のゲストは石巻在住のyukkiさんと
仙台在住のCobiさんによるユニット、Coupie(クーピー)のお二人でした。

独自のアンビエントミュージックは素敵なすきまがあって
耳を澄ませているとカラフルな景色が目の前に広がるんです。
五感を刺激してくれるんです。

そんなおふたりの大切な作品である
アルバム"la melodioj de la orienntonordo"
実は、このCDも津波にのまれ、yukkiさんが救いだしたもの。
紙ジャケなのでまだ水分をたっぷりと吸い込んでいました。
"商品としてお届けできないので、縁のあるひとに持っていて
ほしいと思って”と、井上さんと一枚ずついただきました。
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今も、わたしの部屋で乾かしているところです。
ディスク自体は無事です。ジャケットを触るたび
涙が出そうになります。一生大切にしようと思う一枚です。

今日のオンエアでも貴重なお話を聴くことができました。
気持の上での音楽との向き合い方の変化、
おふたりが震災後はじめて音を鳴らしたときの気持ち、
そして3月の日々。
Coupie yukkiさんのblog
yukkiさんのblogをここに貼らせていただきました。
石巻のようす、よく分かります。
その思いに、打たれます。

よかったら、ぜひさかのぼって見てみてほしいです。

おふたりの行動力にはわたしも刺激を受けています。

yukkiさんが言っていました。
"夢を描くチャレンジをしなくちゃ”

こうなりたい、こんなことやりたい、そう思えたら
きっと一歩一歩動いてくるはず。

2011年6月14日

SONG COMPOSITE

中田裕二さんのライブをdarwinで見てきました。

椿屋四重奏が解散して、ソロとしての本格始動となるライブ。
そのツアー初日、仙台。
声の調子は絶好調でした。

意外な選曲も楽しくて。
好きなアーティストのライブに行って、そのアーティストの
フィルターを通してまた素敵な曲に出会う、なんて幸せな
出会い方だと思います。

震災後、びっくりするくらい早く届けられた
中田さんの新曲"ひかりのまち”。

あの会場にいた方がはじめてこの曲を聴いたのはいつだったのでしょうか。
オンエアで聴いてくださった方、
塩釜でのチャリティーライブで聴いた方、
ダウンロードして聴いた方。

原稿やメモやみなさんからのメッセージ、
とにかく机やスタジオの椅子という椅子の上が
紙でいっぱいだったあの日々。

中田さんの思いがアウトロまでいっぱいにつまった
”ひかりのまち”をはじめてきいたとき、胸がいっぱいになりました。

そして震災後初のゲストとしてきてくださったのも
中田さんでした。

中田裕二 ひかりのまち

ツアーは8月1日のファイナル、仙台CLUB JUNKBOXまで続きます。
どんなツアーになるんでしょう?
ファイナルも必ず見にいきたいです。

虹色の夕暮れ

帰り道、夕暮れの空は、それは見事なグラデーションでした。
丸いお月様もぽっかり浮かんで。
見てほしくて思わず親友にメールする帰り道。

今日は番組終わりで久々にサックスのレッスンに
行って来ました。震災後はじめてお会いする
先生と奥さんとは積もる話もいっぱい。

先生の素敵な演奏を聞いていたら
去年のJAZZ FESのこと、先生のバンドのみなさんのこと、
いろいろ思い出して、とても会いたくなりました。

たくさん話をしたい。しなくちゃ。

また目標をかかげて、練習もがんばろうっと。

2011年6月15日

空とモーモーと狼

気がつくとデジカメを首からぶらさげている
撮影大好きなわたしに、
かつて先輩がつけたあだ名は『思い出マニア』。

またしても夕暮れの空に見とれて携帯のカメラで
撮影してしまったわたしですが、
左右に見えるビルの修復工事の様子や
青いビニルシートにも意識がいっていました。
立ち上がろうとしている街をいとおしい気持ちで見ています。
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沿岸部の街でがんばっている友人・知人のブログに
載っている街の写真にも、同じ思いを感じています。

夕暮れのなか、サンモール一番町のライブハウス
Hook仙台へ。
残念ながら震災によるビルの取り壊しに伴い
移転が決まった老舗ライブハウスのMACANAで行われる予定だった
モーモールルギャバンのライブがHookで行われたのです。

ライブハウスのみなさんと話しているとそれぞれが助け合って
がんばっていこう、サポートしあっていこう、という気持を感じます。

駆けつけると"美沙子に捧げるラブソング”が鳴っていました。
MCも演奏もまとわりつくような濃さ!!
カツ丼食べて、角煮定食までオーダーしといて
シメにとんこつラーメン、帰り道にみたらし団子まで胃に納めちゃうくらい
濃かったです。

京都発、ギターレスの3ピースバンド、モーモールルギャバン。

満喫しながらも、実は満員のお客さんのなかで、身長151センチは
メンバーの顔が1ミリも見えませんでした(笑)
次回こそ!
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そしてもう一組、
気になるバンドに今日出会いました。
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謎の狼バンド"MAN WITH A MISSION"

インタビューしていると不思議な言葉のセレクトに
翻弄されながらも、ときどきふっとでる言葉に
人柄・・・ならぬ狼柄の良さを感じます。
見た目でちびっ子は確実に泣いちゃうけど!!

でも・・・
狼なのに・・・
県内にボランティアとして実は入ってくださっていたそうです。
ありがとうございます。

"MISSION"を感じてのことだったのでしょう。

今月のライブは見逃してしまいましたが、次はぜひ。


2011年6月16日

思い出

制作委員会事務局の矢吹さんに
電話でお話を伺った
"みやぎの思い出写真集"。

『被災した写真ではなく、きれいだった頃の風景が見たい』と
いう石巻の方のことばをきっかけにはじまったプロジェクトで、
沿岸部の震災前の風景や祭りなどの写真を集めた写真集を作ります。

自治体からも観光パンフレット用などの写真を
提供してもらう取り組みをしているそうですが、
ご存知のように庁舎自体が被災して、所有する写真も
津波によって流された地域もあります。

プロ・アマチュアのカメラマンの方にも提供をよびかけているほか、
ぜひ、あなたのお家にあるデータをチェックしてみてください。

夏休みに楽しんだまつりの風景、
ご実家に帰省したときに何気なく切り取った地元の人だけが知る場所、
観光ででかけたあの美しい街。

そんな一枚、ありませんか?

人の力が集まればきっと素敵な一冊ができると思います。
失った景色に呆然とされている地元の方もまだまだ多いはずです。

取材で避難所に伺ったとき、一角に展示されていた、持ち主を待つ
泥のついた家族写真を見て、ほんとうに居たたまれない気持になりました。
同じ頃から"思い出の喪失"が重くのしかかっている方が多いことを、
感じるようになりました。だからこそ、思い出の写真を
きれいにして持ち主の方に戻そうと尽力なさっている方々の活動も
伝えられていますね。

"思い出”はそれぞれのものだけれど
今回の"みやぎの思い出写真集”を知って、共有できる写真から
たいせつな思い出を重ねてもらえるんじゃないか、と思いました。

みやぎの思い出写真集 HPはこちら

協賛も募っているということで、現時点では必要な協賛の3分の1と
おっしゃっていました。

ぜひホームページを一度ご覧ください。

わたしのフォルダーの中にもたくさんの"みやぎの思い出"がありました。
できるだけたくさん、データを送ってみようと思います。

【写真データ提供について、対象地域】
気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、松島町、利府町、塩竃市、七ヶ浜町、
多賀城市、仙台市宮城野区、仙台市若林区、仙台市太白区、
名取市、岩沼市、亘理町、山元町 の各沿岸部被災地域

これらの場所で撮られた写真のご提供を呼びかけています。

2011年6月17日

LIVE LIFE LINE TOUR

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去年はイベントでライブをたくさん見せてくれた
怒髪天。そんな気はしませんでしたが
ワンマンとしては1年ぶりのJUNKBOXでした。

増子さんが何度も何度も何度も言ってくれました。
”よく来たー!!"

いろんな思いのこもった"よく来たー"だったと思います。

番組と、月末にDate fmのDNA会員向けのメルマガで
ライブレポートします。

2011年6月18日

100日

3月11日の東日本大震災から100日が経ちました。

各所の方が力を尽くしてくださっています。

それでも甚大な被害の前では
いろいろなことがないない尽くしに思えることもあります。
避難所におけるビタミン不足、
震災による失業、
減らないがれきの山。

そして、被災地の思いと政治の思惑のアンバランス。
目の前で起こっていることとはかけ離れた
とんちんかんな国会の答弁に耐えられなくなり
ニュース番組を消したのも1度や2度ではありません。

いろいろな思いがありますが、
みんな力をあわせて必死でやってきたと思います。
そして間違いなく、各地から寄せられる善意や支援が、
物資と心、その両面でわたしたちを支えてくれました。

100日という時間。

この100日の間に、
会う人の言葉のなかにも、
リスナーさんのメッセージのなかにも、
"家もあるし、家族も無事で、申し訳ない"という気持をなんども
聴きました。私自身のなかにも、それはありました。

でもある人が、わたしに言ってくれました。
"今回の震災で傷つかなかったひと、ショックを受けなかった人はいない。
みんなが弔う気持をもつことが大事だと思うんです”
その方もたくさんの大事なひとを亡くされていました。

そのための日なんだと、
100日目を迎えたきょう、考えてすごしています。
そしていまだ行方不明の方が一日でも早く、ご家族の元へ
帰ることができますようにと祈ります。


そして100日目のきょう、ここに記しておこうと思うことがあります。

わたしたちラジオのスタッフも必死でしたが、
振り返ればもちろんたくさんの反省もあって日々過ごしています。
今後に生かすためにも、そしてこれからも被災地とともにありたいという
気持で番組をお届けすることを誓う意味でも、
文章で震災当初のこと、マイクに向かった当時の混乱や思いを書いておこうと思います。

自分の手帳を読み返すと、3月11日12日13日と
メモ書きがいろいろあります。起こったことを
書き留めておこうとしていたのを思い出しますが
その後、現実を知れば知るほど、何もかけなくなって
しまったことを手帳の空白が示しています。

金曜日はJ-SIDEの取材に費やすことが多いわたしは
あの日も出かける準備をしていました。
自宅1階のプリンターで資料を打ち出しているとき
突然の地震。揺れはまたたく間に大きくなり、
あわててプリンターのそばを離れ、隣のリビングへ
足を踏み入れたところで揺れはさらに大きいものに
なっていくように感じました。

その時間、母は出かけていて
リビングには祖母と父がいました。
父が祖母をかばうようにダイニングテーブルの下に入れ
わたしは数歩先のその場所にたどり着けずに頭の上に落ちて
くるものがないことを確認してテレビと棚を抑えながら立ったまま
揺れに耐えていました。

祖母はわたしのことが心配で
何度もテーブルから頭を出そうとしてしまいます。わたしの
『おばあちゃん!危ないから頭ださないでそこにいて!』と言う声と
『ひさちゃーん、ひさちゃーん』という祖母の声が何度も繰り返されていて
今思うと私は悲鳴もあげていたと思います。
父が制止しなければ祖母はきっとパニックのあまりテーブルの下から
飛び出してきたのではないかと思うと今でもぞっとします。

ダイニングボードのガラス戸が開いて
中からグラスや皿やマグカップや飾り物が次々と飛び出してきて
あっという間にリビングの一角がガラスの残骸でいっぱいになって
いきました。壁掛けの時計や絵がみるみるうちに床に
叩きつけられて、ダイニングの椅子が予測不能な方向に
動いていくのが見えました。

このまま家がつぶれるのではないか、という恐怖と戦いながら
時間はとても長く感じました。

やっと揺れがおさまりスリッパのまま外にでると
電線は大きくゆれていて、近所の犬たちが吠えているのが
聞こえていました。隣のブロック塀が崩れているぞーと父の声。
足がガクガク震えているのがわかり、
祖母と抱き合っているとまた大きな揺れ。
その余震は繰り返し繰り返しおこって
ついに私たちは家の中に入るのを断念して、車の中に避難することに
しました。近くから帰ってきた母と共に家族4人で
車の中に入ると、ラジオとテレビが大津波警報を伝えていました。

それからほどなくしてテレビが映し出したのは
津波が仙台空港の滑走路を飲み込む映像。
ただただ信じられませんでした。
不安に追い討ちをかけたのが季節はずれの雪。
そしてその後で空が一瞬明るくなったのを記憶しています。

夜になって、妹は車で30分ほどの距離を大渋滞の中、3時間かけて帰ってきました。
わたしの高校時代からの友人も避難してきて
その夜は2台の車にわかれて夜を明かしました。

ガソリンを節約するために、着込んで毛布にくるまっているのですが、
寒くてなんどかエンジンをかけて車内を温めました。
携帯ラジオが伝えるのは海岸に200人から300人の遺体があります、という
信じられない情報や緊迫した火災の情報。
停電で真っ暗になった空には星が綺麗で、ますますせつなくなります。
星の合間を、救援のヘリコプターが飛んでいくのを、祈るような気持で
窓から見ていました。長い長い夜でした。
どんなことが起こっているのか
被害の全貌を知ることになるまでには数日がかかることになろうとは。

J-SIDEのチームも、連絡がとれないまま、集まりました。
そして、その場にいるみんなの家族が無事であるのか、
聞けない雰囲気がそこにはあって、とにかく目の前にある情報を届けることだけに
集中しました。
初見で読む原稿ばかりで、メモを取る間もなく、下読みする時間など
もちろんない状態で生放送は続いていきました。
J-SIDEの場合は
一人が情報を伝えて一人がリスナーのみなさんから届けられた
安否確認メッセージを伝えるスタイルをとろう、ということになりましたが、
安否確認メッセージはご家族に呼びかける必死の文面がほとんどで
「一人でも情報がつながるように」と信じる気持だけで読んでいました。
メッセージを書いた方の顔が浮かぶようで、祈る気持いっぱいでみんな胸を詰まらせながら
読んでいたと思います。あるとき、安否確認が取れていないひとのなかに
高校時代の後輩の名前を見つけて震えました。

震災から4,5日後だったと思いますが、携帯ラジオの電池が残り少なく
なっていること、ずっとラジオの前にいられるわけでもないこと、
大きくその2つの理由から、「情報」と「安否確認」の時間を
あらかじめインフォメーションして放送をしてほしい、
という要望が寄せられました。すぐに、切り替えました。
現場のスタッフにとって貴重なご意見でした。

電気が復活したところから
充電ができるようになった携帯などからさまざまな情報が
届くようになり、しだいに「炊き出し情報」「ペットを預かります」
「赤ちゃんのミルクを配ります」「シャンプー無料支援」といった
細かな支援情報がみなさんから届き始めました。

本当に、ありがとうございました。あのときほど、
リスナーさんのお力、ラジオの力を感じたことはありません。

決して多くはない人数で放送を続けていましたが、
多くの情報に助けられ、わたしたち自身もはげまされました。
スタッフの食事の調達のためだけに一日費やす日々を過ごした
スタッフもいますし、若いスタッフが腹ペコで仕事しているのを見るのは
正直辛かったのですが、沿岸部では
比べ物にならないほどの状態であるのを日々感じていました。

まだまだ県内の被災地には復興の進み具合に開きがありますし、
ひとりひとりの時計の針の進み方もそれぞれです。
何をもって真の復興といえるのか、誰も経験したことのないことであるからこそ、
それは手探りであるともいえます。
とにかく大変な思いをしている地域の方とともにいたいというのが、
番組に関わる皆の思いです。
反省を生かすためにも、声を現状を、ずっと伝え続けていきます。

改めて、亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に
ご家族の皆様方に一日も早くこころおだやかな日が訪れますよう
お祈りいたします。


【紫陽花】
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5年前のきょう天国へ旅立った、親友でいてくれたディレクター。
最後の1年彼女の時間を一番もらったのはいっしょに番組を
担当していたわたしでした。
どうして早く病気に気づけなかったのか、後悔ばかりでした。

今回の震災で、ディレクターの優しいご家族から
たくさん、心のこもった支援をいただき、
声のそっくりなお姉さんと話すと、ディレクターが
当時のようにわたしを励ましてくれているようでした。

思い出のなかにも、気遣いやセンス、
学ぶことがいっぱいなんです。
それが、5年という時間が教えてくれたことです。

足跡と生涯届けた優しさは、ずっと仲間みんなのなかにあります。

高橋優さん

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入り口には等身大パネルも置かれていた
JUNK BOX。
高橋優さん初の全国ツアー、仙台公演です。

去年の夕涼みコンサートで見て以来だったのですが
その間にはNY路上ライブも敢行するなど濃い時間を
過ごしてきただけあって、たくましくなり、
それによって説得力も増したなぁ~というのが素直な感想!

それにしてもMCのなかであんなにコンビニの
話題が出てくるのは
”リアルタイムシンガーソングライター”ならでは、かなと
思ったりもしました。

そのキャッチコピーが示すように、言葉の放つ力、
メッセージを注目され続けてきたアーティストだと思いますが、
それにいいメロディーがのっかると大きく共鳴するんですね。
ふり幅をもったアルバムが示していると思います。

そして、震災後、県外の方から"届けたい曲”としての
リクエストが多かった"福笑い”も、ライブで披露してくれました。
その音に祈りを重ねて聴き入りました。

早くも次の仙台ワンマンも決定しました。
11月15日・・・今度はdarwinです!


2011年6月19日

手作りのフェスティバル

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2011年6月20日

ばらの花

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くるりを聴いている夜。
6月に聴くのが大好きな『ばらの花』。
冬にリリースされた曲のはずだけど、
なんだか6月がしっくりきます。

2011年6月21日

何世代?

フジテレビ系列で放送されていた
『世界名作劇場』における提供が
"カルピス"か"ハウス食品"かで世代がわかる、という話を
したばかりなのですが、
このところのJ-SIDE周辺は、
戦隊物で世代を表すことができるようになるかもしれません。

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つい購入、いや、出会ってしまった一冊。

『「ゴレンジャー」から「ゴセイジャー」まで
全34戦隊全部早分かり図鑑』なるものがついた
熱い一冊であります!!

なんと見開きページで詳しい説明が載っているほか
「早分かり」のコーナーではヒーローの配色、
メンバーの関係性、名乗り(つまりは登場したときのセリフ)
さらにはレジェンドとして特徴や伝説を紹介しています。

レジェンドを読んでいくと面白い!!
たとえば・・・

●大戦隊 ゴーグルファイブのイエロー=ぽっちゃり系は
 キレンジャー以来久々の登場

●電撃戦隊 チェンジマンではレギュラーの敵キャラクターが
 正義側に寝返る

●鳥人戦隊 ジェットマンではチーム内でドロドロ恋愛劇

全96ページを付箋を貼りつつ熟読中!!

ゴレンジャー世代、アオレンジャーかミドレンジャー的な井上さんと
チェンジマン世代、チェンジマーメイドになりたかった庄子でお届けする
J-SIDE STATION、今週もよろしくお願いいたします。

あなたは何世代?

2011年6月22日

the SALOVERS

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2011年6月24日

PUMP UP FRIDAY

金曜日の朝を楽しくしてくれた番組
PUMP UP FRIDAYが最終回を迎えました。
たくさんのリスナーさんがスタジオ前に、そして
関係者、これまで番組に携わってこられた方が
スタジオ内にいらしていました。
番組の後には、笑顔と涙、握手とハグがあちこちで。

ひとを元気にする、というのは
エンターテイナーじゃないとできないことだよなぁと
PUMPを聞きながらいつも思っていました。

晴子さんのインタビューはいつ聞いても朗らかな気持になるし、
おもしろくてお人柄そのままのあたたかさいっぱいのトークも大好きです。
知識と愛情が重なると晴子さんみたいなトークになるのだと、
スポーツのはなし、ふるさとのはなし、ひとへのまなざしに感じていました。

JORIさんはかつて山形で一緒に番組を担当したこともあって、私にとっては戦友!
ほんと頭の回転が早くて、わたしがやっと次の展開を考えている頃には
4つ5つ先のことを考えているような人だと思ってます。

晴子さんへはたくさんのリスペクトをこめて、
JORIさんとはまたいつか共演できることを祈りつつ、
そして素敵なチームPUMPにも心を込めて・・・
本当におつかれさまでした。


P.S. スタジオでJORIさんに"髪型が食パン”との
   ありがたいコメントを頂戴したので、午後に美容院へ行きました。
   軽くなってふんわりロールパン系にしてみました。
   (ま、無理やりパンにたとえなくてもいいんですけどね・・・) 

2011年6月26日

いろどり

アートの世界で活躍する友人や
取材でお会いしたアーティストの方々から
展示会のお知らせなどいただくことが多くなりました。

想像して創造する、人間に与えられたギフトだと思います。
それをあやつることのできるアーティストを尊敬します。
ひとをしあわせにしたいと思って作られたのだろうな、と思う
作品に出会うと嬉しくなります。

素敵なギャラリーのひとつ、多賀城のギャラリーシンで
"日々をつくる作品展”のお知らせをいただきました。

作品展示とあわせて、自衛隊のみなさんや、警察官、市役所の方々への
「感謝メッセージ」を短冊に書いて「七夕飾り」をつくる企画を行っているそうです。
ギャラリーらしく、色鉛筆やクレヨン、折り紙などでオリジナル七夕飾りを
作る企画。店主・米澤さんの想いが伝わってきます。

ギャラリーシンのHPはこちら

今回の出品作家のおひとり、加川広重さんの言葉が印象に残りました。

"今回の震災で津波の被害にあった地域をみて感じたことは
色彩が失われているということでした。
瓦礫や土砂、破壊された家、残された場所には単一的な
色彩しか残されていませんでした。生活に色彩が溢れているということは
自然と人の心を癒していたんだとあらためて感じました。色を
扱うものとして、人の心を豊かにしていく色彩に溢れた絵を
描いていきたいと考えています”

わたしも津波の被害にあった場所に立ったとき、
"色”と”音”をものすごく意識したんです。
そして津波の被害がなかった場所でさえ、
街行く人の服は暗い色ばかりで、お店のBGMも消え、みんな下を向いて
無言で歩いていました。異様としか言いようのない風景でした。

加川さんの巨大な水彩画をせんだいメディアテークでみて
ものすごく感動したことがあります。
そのときにいただいてきた絵葉書をずっと机に飾っています。

きれいなものを見るとひとは癒されるんですね。
多賀城も甚大な被害を受けました。
アートと地元をいっぱい愛するギャラリーシンさんの
震災後初の展覧会です。お近くの方もぜひ。

2011年6月27日

出会いはスローモーション

雨上がりの帰り道、家に向かって歩いていたら
ちいさく白いものがスローモーションで近付いてくるのが
見えました。

む・・・

むし・・・

ムシ?

やっぱ・・・虫だーっ!!!

なんとその白い虫は
私のぱっちり大きくもない目にまっすぐ
飛び込んできて、
コンタクトに当たって跳ね返っていきました。

"きゃー"でも
"ぎゃー"でもなく、

夜道でひとり
"んにゃあっ”という声を上げてしまった私。

その瞬間に水溜りにずぼっとはまったのですが、
そんなことはさっきの恐怖に比べればたいしたことはなく、
コンタクトに虫が当たったことから瞬きをしたくなくなり、
そこから一生懸命目を見開いて家にたどり着きました。

うがい手洗いコンタクトの洗浄洗浄ー!

2011年6月28日

梅雨

先日、ある仕事場で、いつも元気な女性が
"なんか・・・最近疲れるんです、震災疲れが
今頃になってでてきているのかな”とふと口にされていました。

その言葉を聞いて、思い返してみると、
今年は「五月病」という言葉をオンエアでも日常会話でも
一度も使うことなく過ぎていたことに気づきました。

普段ならリセットしたり一段落したりする時期を
逃したまま気がついたら梅雨入りしていたという方も
多いと思います。

湿気と気温の変化で体調を崩しやすい時期。
晴れている日には太陽の光を浴びると体内時計を整えて
睡眠の質がよくなるそうです。お風呂での半身浴で
汗線の働きがよくなって上手に汗をかくことができるようになると
熱をためにくいからだになって爽快感も得られるとか。

この季節と上手に付き合いながら、無理なく取り入れられる
日常の楽しみも見つけていきたいですね。
わたしは音楽はもちろんですが、
やっぱりこの季節は読書でしょうか。

いままであまり手にすることのなかった類の本を手に取ることも増えて
手に取る本で自分でも気づいていない自分のモードがわかったりします。
いっぱいいっぱいだったときは思想家・宗教家が書いた本を手にとり
何か言葉を、救いを求めて読んでいたし、
原発関連の本は、ほぼはじめて読みました。
エッセイで気分転換をさせてくれる本を手に取れるようになり、
そしてやっとライトなものにも目がいくようになったときには少しほっとしました。

みうらじゅんさんの「マイ仏教」はおもしろかったです。
MJ節炸裂の言葉も、さりげなく飛び出す名言も。
あっという間に読めます。
あとはもちろん、「ゴーカイジャー 公式航海ナビ」も引き続き熟読しています。

2011年6月29日

木漏れ日

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木漏れ日の美しさに見とれて一枚。


2011年6月30日

生ラムネ

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暑さにとけそうになりながら収録の
スタジオについたら、
東京出張帰りのディレクターが
ささっとこんなものを差し出してくれました。

『生ラムネ』
新・食・感・・・・

口の中に入れるとひんやりした
キューブ型のラムネ。
噛むとさっくりの歯ごたえなんですけど
ゆっくりしゅわわわわ~ととけていくんです。

オゥ、コレハ、トーキョーガールズにも人気ナノデスカ??
あまりの新食感に思わず片言で聞いてみたり。

さっきまで暑さでとけそうになっていたのに
ぱっちり目がさえるわたし。

甘党は甘党のテンションの上げ方を知ってます。

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