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石巻日日新聞

先日、石巻日日新聞社で
報道部長の武内宏之さんにお話を伺ってきました。
石巻新聞は100年の歴史をもつ石巻の夕刊紙ですが、

震災当日、津波で社屋が浸水し、輪転機も水に使ってしまいます。
ですが、「休刊はしたくない」と、壁新聞を作り届けることを選択しました。
停電の中、油性ペンで書いた新聞はまず1枚を作り、その後手分けして同じものを
書いて、高台の避難所やコンビニなどに張り出されたのです。

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その壁新聞はワシントンのニュース専門の博物館に永久保存されることに
なりましたが、石巻日日新聞の報道部の入り口には
そのまま最後の壁新聞となった3月17日の新聞が貼ってありました。
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あの混乱の中で、ことばが光となったのだろう、と壁新聞を前にしたとき思いました。
たくさん伝えなければならない情報があるなかで、限られた紙面。
厳しい現実があるなかで、読む人が希望を失わないように、セレクトされた言葉。

報道のプロである武内さんが
『10行書くのも言葉がでてこなかった』という
一言がとても重く響きました。

そして震災前から信念をもって報道され続けてきたことを知りつつも
聞いてみたかったのは、震災後の報道の姿勢で変わったことは、ということでした。
武内さんの口から返ってきたのは
『読む人に役に立たないと意味がない 役に立つ情報を届ける』という
ある意味、原点に立ち返ったような言葉でした。
そこには地元と共に歩んできた新聞社の強い責任感と
読者のみなさんに対するリスペクトのようなものも感じました。

震災後のふるさとの景色には
『ここまでするかと正直思った』そうです。でもいま、
自然と共に生きてきた石巻の地が復興を遂げるために、
新聞社のできることをひとつひとつ、積み上げていらっしゃるのが
武内さんの的確であり、思慮深い言葉から伝わってきました。
役に立つ情報をこれまでもこれからも、
そして未来にむけて、読んでいる人をミスリードしてはいけない。

IMGP1333.jpg
ラジオと新聞と、メディアは違えど、
本当に勉強になることだらけの時間でした。

『情報もライフラインのひとつである』
震災後に発信する側としての必死さの中には反省もあります。
その反省の中に、
武内さんのこの言葉と今回のインタビューのひとことひとことを刻みました。

■石巻日日新聞■

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2012年3月28日 01:08に投稿されたエントリーのページです。

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