祈り
言葉がまとまらないまま
震災から5年目の3月11日を迎えました。
今年は同じ金曜日です。
朝、冷蔵庫をあけては、しみじみ。
パンを食べては、しみじみ。
ドライヤーを使って、しみじみ。
スタジオでいつもの顔を見て、しみじみ。
バスにならんで、しみじみ。
そのバスの列では若い女の子たちが、
あのとき、前にここにあったホテルの窓ガラスが
割れて散らばっていたよね、なんて話していました。
沿岸部の町では、復興へは道半ばです。
でも震災の後、変わり果てた町を見たとき、
わたしが生きている間にはもう観光なんて
無理なのではないかとさえ思いました。
そのことを思い返せば
よくぞここまで5年で、と思います。
ふるさとを愛するひとは、思っています。
休暇の行き先を考えるとき、宮城が、東北が
候補に入ることこそが嬉しいことだと。
今の東北をぜひ見にきてください。
そして、5年経って改めて思うことがあります。
火事場の馬鹿力という言葉があるけれど、
人間は、ふだんやっていないことは緊急時だからといって
できません。
ふだんからネットワークを築いていたひとが
助けにきてくれたり、助け合ったりしていました。
家族でのふだんの約束事が生かされた事例もあります。
奇跡なんかじゃなく、ちゃんと地に足のついた
ふだんの訓練があって助かった命もありました。
亡くなった方の悔しい思いを、生きたわたしたちは
防災・減災のためにつなげていかなくてはなりません。
そして、あんなに大変な時でも
おもしろいことを言って和ませてくれた友、
自分が大変なのにひとのために奔走した友、
家も車も流されて大変な思いをしているのに、
クリスロードでばったり会った時、店頭販売していた魚を買って
私におみやげを持たせたおじさんおばさんの姿を忘れることができません。
それも普段していることだから、つい、だったんだと思います。
普段していることをすぐに忘れないくらい、ひとの心は
強いのだと教わりました。
ふだんが大事。それはどういう気持ちで
番組を作っているかも同じだと、反省の気持ちもこめて
自分に言い聞かせています。
5年前から続いている今日、そして明日、あさって。
ふだんを大切に、ひとを大切に。
東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。
そして、いまだ苦しい思いをされている方のこころに
少しずつでもどうか光がともっていきますように。