去年の3月11日に発行された一冊の本があります。
「南三陸発!志津川小学校避難所」という本。
南三陸町の志津川小学校避難所は
震災当日から59日間に渡り、自主運営された避難所です。
この本は、避難されていた方が書き留めたノートと、その後の
インタビューを経て書かれた、記録の一冊なんです。
3月11日から、「さよなら、避難所」の
タイトルが付けられている5月8日まで毎日の記録が記されています。
避難所の自治会メンバーとして力を発揮されていたのは
志津川地区の老舗の商店のだんなさんたちだったんですね。
ふだんから地域のみなさんにとって顔なじみのメンバーだったわけです。
3月28日のページを開いてみますと
この日、志津川小学校の体育館では予定より16日遅れての
卒業式が行われました。
「子供たちのために」「卒業式という晴れ舞台を準備する」この大事な
目標のために、避難されていた500人もの町民のみなさんが
見事なチームワークを発揮されたエピソードがとても印象的でした。
混乱の中から自治会が結成され、
その後のさまざまな避難所での出来事を力を合わせて乗り越えて。
この一冊は志津川小学校に避難されていた方々から
未来へ送るメッセージとなっています。
「南三陸発!志津川小学校避難所」
明石(あかし)書店から発行されています。
登場人物はカタカナ表記で、主に下のお名前や
普段よばれているニックネームで書かれていまして、
わたしはそのうちの多くの方に取材を通して
お世話になってきました。
そのうちのお一人「タダヨシ」さんの言葉が
一番印象にのこっています。
それは302ページにある
「震災前のことって生まれる前の出来事みたいな感じなんです。
そして、現世は震災からはじまったように感じる」という言葉です。
今週のみなさんぽは「タダヨシ」さんこと、
『一般社団法人 南三陸研修センター』
理事の阿部忠義さんにお話を伺いました。
阿部さんは南三陸町で生まれ、
子どもたちにも人気の
「オクトパス君」の生みの親でもあります。
阿部さんは町の職員として
長く産業振興にも力を尽くされてこられました。
震災時は志津川小学校避難所と町役場をつなぐ役割も
果たされ、
震災直後からは入谷公民館の館長さんを
勤められた経歴もお持ちです。
南三陸で活躍されている若い方々からの人望も厚く、
その背中を尊敬されている阿部さん。
そんな阿部さんご自身も尊敬する先輩がいます。
その方は"仕事は厳しく、職場は明るく"という
気持ちでお仕事をなさってきたそうで、
阿部さんもその精神を引き継ぎたいと思ってこられたそうです。
震災でお亡くなりになってしまった先輩のことが
いつも阿部さんの心にあるのだな、と感じました。
オクトパス君を手がける
南三陸復興ダコの会の目標を
"世界のオクトパス君に"
そして、南三陸研修センターの目標を
"南三陸町を日本一の研修フィールドに"と
教えてくださいました。
震災後のひととの出会いで積み上げてきたことが
つまっているという南三陸研修センター。
"歓迎する思いはもっているけれど
おいでになる方がそれ以上に
南三陸を好きになってくれてありがたい"と
いう阿部さん。
交流で、地域の活力を生んでいきたいと
奮闘されています。自然を守りながら発展させて
いきたいという思いも。
今後は、ものづくり学習館のような場所を、という
夢も描いていらっしゃるそうです。
南三陸研修センターは
地域振興やスタディツアーなどの
プロジェクトを行っていて
「いりやど」という宿泊施設もあり、
研修やもちろん、ビジネスユースや
プライベートの旅行の方まで幅広く利用されています。
南三陸町で活躍する若いひと、移住して共に働く若い方々のことを
"ものごとをすっきりさせて、ブランディングする力を持っている。
時代の流れを捉えて効率のよい発信の仕方をしていることが
すばらしい"と表してくださった一方、
"彼らがのびのびとパフォーマンスできる環境を
つくるのが私のしごと。
私の尊敬する上司はまさに、
私を守って好き勝手にやらせてもらった"とおっしゃる阿部さん。
アイディアマンと呼ばれ続けてきた
阿部さんの周りにも、頼もしいアイディアマンが誕生しているんですね。
"右腕になってほしいと思って
一緒に働きだすけれど、
それはもったいないなとおもって、それぞれ
やってもらうことにすると、
自分の雑用は一向に減らない"と笑っていらっしゃいました。
最後に、今年の3月11日、目標にする先輩に
どんな報告をされますか、とお尋ねしてみました。
インタビュアーとして、はじめてこのような聞き方を
させていただきました。
"相変わらず一生懸命やっているんだけれども。
もうちょっと地域に経済効果をもたらすような
実績を作りたいので、少し応援してと
お願いしたいと思います"