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2024年1月 アーカイブ

2024年1月 1日

2024

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あけましておめでとうございます。
2024年、青空の年明けです。

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広瀬川で出会った白鳥たち
(40羽ほどいました!)の姿にほっこり。
川の流れにのって優雅にこちらに
向かってきた三羽の姿に
ドーミーソー♩と歌いたくなりました。

朗らかな一年でありますように!

2024年1月 4日

能登半島地震

能登半島地震で被災された方に
お見舞いを申し上げます。

元日の夕方、緊急地震速報の音に続いて
スマホの画面に出た震度と「石川県」「能登」の文字に
血の気が引きました。

テレビはほどなくして珠洲市のライブカメラの映像を映しました。
大津波警報の中、避難される方達はゆっくり歩いているようにも見え、
海からの距離感がわかるだけに、東日本大震災後に入った
三陸沿岸の被災地にも重なり、
早く逃げて、とテレビに向かって声を出していました。
今思うと、ゆっくり歩いているように見えた方達は
高齢であったかもしれません。

輪島の大規模な火災に加えて、
発災当初からの度重なる余震に、画面越しでも心が折れています。
断水と停電、道路の寸断によって被災地に支援物資が入ることの難しさ、
そして、冬の厳しい寒さ。

お正月だったことで帰省していた方々の若い力が
助けになったこともあったようです。
一方で、避難を余儀なくされた方が予想以上の人数となったことで、
備蓄していた食品や物資の不足も心配されます。

昨日から安否不明の方のリストが発表されました。
時間を追うごとに人数が増えていますが、
東日本大震災の時もそうであったように、
家族と離れたどこかの避難所に身を寄せていたり、
知り合いの家などに避難されている可能性もあります。

発災から72時間が経過した今夜も、
80代の女性が救助されました。

どうか、気持ちを強くもって過ごしてください。
宮城の地から強く強く祈ります。

■□■石川県HP■□■

2024年1月11日

能登半島地震から10日となりました。
被害の大きさに加えて地形の特性もあって
孤立が解消されず、いまだ不自由さと不安の中にいる方を思うと
本当に心が痛いです。
そして、懸命な捜索にもかかわらず
いまだ見つかっていない方が多数いらっしゃいますが、
たいせつな方の帰りを待つ方や、
被災地の方々がどれほど長く辛い時間を過ごしているでしょうか。

情報の取得もままならないということが
伝わっていますが、
支援の輪が着々と広がっていることを
伝えられたらいいのにという気持ちです。

宮城の各地域からも、さまざまな団体からも
物資とともに人が派遣されて、早くもチャリティーイベントの
開催がアナウンスされたり、
街中には、いたるところに募金箱が置かれています。
お年玉からかな、と思うお金を入れる子どもも見かけました。

東日本大震災が起きたとき、私はもう自分が生きている間には
ふるさとの景色はもちろん観光なんて戻ってこないんじゃないか、と思いました。
でも、復旧復興の道は険しくもちゃんとつながって、
新たな希望を生んできました。

わたしは、これから長く心を寄せていきます、能登に。

6年を過ごした石川県には各地にお世話になった方がいますが、
その中でも特にお世話になった方が羽咋市にいます。
電話した時、声を聞いただけで涙が出てきました。

まだ断水もあって、大変な思いをされていたはずなのですが、
「自分が被災してみると、東日本大震災の時
何の助けにもなっていなかったのではないか、
庄子さんがいろいろ思い出して辛い思いをしているのではないか」
ということを真っ先に言われました。

実際は13年前はもちろん、その後の地震でも
何度も助けていただきました。

すごいなぁと思いました...ひとって、いつものことをしちゃうんですね。
自分のことよりも相手を気遣う、そのことが染み付いている方は
非常時でもつい、自然にそうしてしまうんですね。
本当に強く、優しい言葉でした。

だからこそ、いま思います。

普段「大丈夫」が口癖のひとや、
責任感や責任ある立場が「大丈夫」と言わせてしまう
方々にこそ、無理をしないでくださいと伝えたいです。
あなたが無理をしないことが、あなたを心配するひとへの
思いやりです。あえて、そう伝えさせてください。

一方で、離れた場所や、被災しながらもその程度の差によって
無力感に苛まれるということを多くの人がいま抱えていると思います。
経済を動かすだとか、元気なひとは元気でいる、とか
頭ではわかっているけれど、そんな言葉が入ってこない時もありますね。
「これをやってください」と言われた方がよほどいいのに。
でも、未曾有の事態では誰もわからないということが現実なんですよね。
本当に苦しいことです。

でも。

こんなに大変なことの前では、
きっとどんな力も必要になると思います。
その時、動けるように。やっぱり元気でいてください。

2024年1月20日

Anniversary

記念すべき35周年コンサート、
千秋楽の地は遊佐未森さんのふるさと・仙台パトナホールでした。

天井の高いコンサートホールで私達を出迎えてくれたのは、
未森さんの音楽史を紡ぐインストゥルメンタルサウンド!
オープニング曲がバンドメンバーをステージに誘い、
美しいアンサンブルの中にふわりと舞い降りた未森さん。
拍手が一段と大きく鳴り響くなか、コンサートは「風が走る道」で幕を開けました。

最初のMCでは「帰ってきました、ふるさと仙台!」と笑顔の未森さん。
懐かしい曲も散りばめて、という言葉の通り、序盤に
2ndアルバム「空耳の丘」から3曲続けて届けてくれました。
コンサートの始まりはいつも、未森さんの歌声の透明感に改めてハッとさせられます。
MCでは作品の背景や制作当時の未森さんの思いに触れることができました。
まわりを見ても、曲が始まった瞬間にピクリと
心の中の"この曲嬉しい!"が見えるような動きをするひとの多いこと!
曲に記憶を重ねたり、懐かしい曲の中に新たな発見をしたりしながら、
それぞれが時間旅行を楽しんでいたと思います。

「地図をください」ではコーラスワークにも包まれて多幸感!
大口さんのピアノのイントロから心が震えた「春の雨」。
杜の都で育った未森さんが大切に歌う「僕の森」。
「街角」で縦笛を手にステップする未森さんは妖精で!
「仔ぐま座」では仙台での特別編、
未森さんを中心にメンバーの皆さんが一列になってのア・カペラを披露してくれました。
リリカルで優美な音に耳を澄まします。
後半は「きらきらになって来ました」とシルバーのドレスで登場した未森さん。
ピアノに移動して、東日本大震災後に作られたアルバム「淡雪」から「Snow Rose」を。
未森さん自身がSnow Roseの生命力に触れて書いたというこの曲に
またしても力をもらいました。

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立ち上がるために必要な音楽に出会えたことには胸がいっぱいになるのですが、
「せせらぎ」も、そう。ずっと歌って欲しい曲です。
「潮騒」はたちのぼってくるような感動があります。

コンサートの終盤、デビュー曲「瞳水晶」からは総立ちで
スピード感のあるナンバーに
会場はどんどん熱を帯びていったのでした。

まさに、アニバーサリーならでは、35年を凝縮したセットリストに
自分の時も重ねて、
最後の最後まで未森さんと私たちの親密な時間は続きました。
深く音楽を追求しながら、新しい扉を開き続け、しなやかな変化を続けてきた未森さん。
この先、どんな曲を私たちの心に灯してくれるのかな。
温かな余韻のなか、これからの未森さんの音楽がますます楽しみです。

2024年1月31日

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"もう、咲いていたよ"と教えたくなる、きいろ。

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