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能登半島地震から10日となりました。
被害の大きさに加えて地形の特性もあって
孤立が解消されず、いまだ不自由さと不安の中にいる方を思うと
本当に心が痛いです。
そして、懸命な捜索にもかかわらず
いまだ見つかっていない方が多数いらっしゃいますが、
たいせつな方の帰りを待つ方や、
被災地の方々がどれほど長く辛い時間を過ごしているでしょうか。

情報の取得もままならないということが
伝わっていますが、
支援の輪が着々と広がっていることを
伝えられたらいいのにという気持ちです。

宮城の各地域からも、さまざまな団体からも
物資とともに人が派遣されて、早くもチャリティーイベントの
開催がアナウンスされたり、
街中には、いたるところに募金箱が置かれています。
お年玉からかな、と思うお金を入れる子どもも見かけました。

東日本大震災が起きたとき、私はもう自分が生きている間には
ふるさとの景色はもちろん観光なんて戻ってこないんじゃないか、と思いました。
でも、復旧復興の道は険しくもちゃんとつながって、
新たな希望を生んできました。

わたしは、これから長く心を寄せていきます、能登に。

6年を過ごした石川県には各地にお世話になった方がいますが、
その中でも特にお世話になった方が羽咋市にいます。
電話した時、声を聞いただけで涙が出てきました。

まだ断水もあって、大変な思いをされていたはずなのですが、
「自分が被災してみると、東日本大震災の時
何の助けにもなっていなかったのではないか、
庄子さんがいろいろ思い出して辛い思いをしているのではないか」
ということを真っ先に言われました。

実際は13年前はもちろん、その後の地震でも
何度も助けていただきました。

すごいなぁと思いました...ひとって、いつものことをしちゃうんですね。
自分のことよりも相手を気遣う、そのことが染み付いている方は
非常時でもつい、自然にそうしてしまうんですね。
本当に強く、優しい言葉でした。

だからこそ、いま思います。

普段「大丈夫」が口癖のひとや、
責任感や責任ある立場が「大丈夫」と言わせてしまう
方々にこそ、無理をしないでくださいと伝えたいです。
あなたが無理をしないことが、あなたを心配するひとへの
思いやりです。あえて、そう伝えさせてください。

一方で、離れた場所や、被災しながらもその程度の差によって
無力感に苛まれるということを多くの人がいま抱えていると思います。
経済を動かすだとか、元気なひとは元気でいる、とか
頭ではわかっているけれど、そんな言葉が入ってこない時もありますね。
「これをやってください」と言われた方がよほどいいのに。
でも、未曾有の事態では誰もわからないということが現実なんですよね。
本当に苦しいことです。

でも。

こんなに大変なことの前では、
きっとどんな力も必要になると思います。
その時、動けるように。やっぱり元気でいてください。

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2024年1月11日 15:53に投稿されたエントリーのページです。

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