羽咋市にも私の大切な先輩のご家族がいます。
お家の中にも外にも地震の爪痕がありましたが
元気でいてくださいました。
能登はやさしや土までも。
連れていってくださった方が
"能登はたくましや"だよ、とも教えてくれました。
東日本大震災の後も、その後の地震でも
繰り返し繰り返し、心配して物心両面で支援してくださった
お父さんお母さんとお姉さん。
私がまだ金沢にいた2007年の能登半島地震の時には
会社よりも、実家よりも先に先輩のお姉さんから
電話がかかってきました。
先輩が眠るお墓はなんとか無事で、
今日も綺麗なお花が供えられていました。
先輩とは共通の大好きな音楽や話題がたくさんあること、
そして時が経ってもなお
仙台で会うアーティストやスタッフの方々が
先輩と私をセットで覚えてくれていることもあって、
ずっと近くに感じています。
先輩のご家族を守ってください。
ふるさとの方々がこれ以上つらい思いをしないように
守ってください、とお願いしました。